聖書は“一度の救いは永久の救い”を教えていますか
聖 書 の答 え
いいえ,
“一 度 の救 いは永 久 の救 い”という教 えの誤 りを証 明 している聖 句
聖 書 は,神 の王 国 に入 れなくなるような重 大 な罪 について警 告 しています。(コリント第 一 6:9-11。ガラテア 5:19-21)救 いを失 う可 能 性 がないとしたら,そのような警 告 は意 味 をなしません。むしろ聖 書 は,救 いを得 た人 が重 大 な罪 を犯 す習 慣 に逆 戻 りし,離 れ落 ちてしまう可 能 性 があることを示 しています。例 えば,ヘブライ 10章 26節 は「真 理 の正 確 な知 識 を受 けた後 ,故 意 に罪 を習 わしにするなら,罪 のための犠 牲 はもはや何 も残 されて」いない,と述 べています。―ヘブライ 6:4-6。ペテロ第 二 2:20-22。イエスは,ご
自 分 をぶどうの木 に,そして弟 子 たちをその枝 に例 えて,信 仰 を保 つことの重 要 性 を強 調 なさいました。弟 子 たちは,一 時 は自 分 の実 ,つまり行 動 によってイエスに信 仰 を表 わしたとしても,後 にそうしなくなるなら,実 のならない「枝 のようにほうり出 され」て救 いを失 うことになりました。(ヨハネ 15:1-6)使 徒 パウロも似 たような例 えを用 い,信 仰 を保 たないクリスチャンは「切 り落 とされる」,と述 べています。―ローマ 11:17-22。クリスチャンは「ずっと
見 張 ってい」るよう命 じられています。(マタイ 24:42; 25:13)ですから,「闇 に属 する業 」を行 なうことによって,あるいはイエスから命 じられた活 動 を十 分 に行 なわないことによって霊 的 な眠 りに落 ちる人 は,救 いを失 ってしまいます。―ローマ 13:11-13。啓 示 3:1-3。たくさんの
聖 句 が,救 われている人 であっても終 わりまで忠 実 に忍 耐 しなければならない,ということを示 しています。(マタイ 24:13。ヘブライ 10:36; 12:2,3。啓 示 2:10)1世 紀 のクリスチャンは,仲 間 の信 者 たちが信 仰 を持 って忍 耐 していることを知 って喜 びました。(テサロニケ第 一 1:2,3。ヨハネ第 三 3,4)忍 耐 しなくても救 われるとしたら,忠 実 に忍 耐 することを聖 書 が強 調 するのは,筋 の通 ったことと言 えるでしょうか。使 徒 パウロは,死 が目 前 に迫 った時 に初 めて,自 分 は必 ず救 われると考 えることができました。(テモテ第 二 4:6-8)それ以 前 のパウロは,肉 の欲 望 に屈 するなら自 分 の救 いを失 うことさえある,と理 解 していました。こう書 いています。「自 分 の体 を打 ちたたき,奴 隷 として引 いて行 くのです。それは,他 の人 たちに宣 べ伝 えておきながら,自 分 自 身 が何 かのことで非 とされるようなことにならないためです」。―コリント第 一 9:27。フィリピ 3:12-14。